2010-12-27 (Mon) 11:29 ✎
【レポートリンク→その1、その2、その3、その4】
トークショーレポートも、やっと今回で終わりそうです。
憶えてることだけ書こうと思ったら意外に長文になりましたね。記憶力の高さにわれながら惚れ惚れします。五月蠅いよ。
さて、旭山動物園の坂東さんと到津の森公園の岩野さんのトークショーは、時間が経つにつれて熱を帯びてきました。
旭山と到津、それぞれの動物園や地域の特徴について話すなかで、2人に共通する「夢の動物園」の輪郭が見えてきましたよ。
■地球上の誰かがふと思った
岩野さんが言いました。
「どの動物にもふるさとがある。そのふるさとと人間の社会とをつなぐのが動物園です。」
「動物園には世界の動物がいます。動物園は地球一周ができる場所なんです。」
そうか。少なくとも岩野さんにとっての動物園は、動物のコレクションの場ではない。
動物園の機能の一つである「種の保存」というものがあります。岩野さんの立場に立てば、これは動物単体を残すのではなく、環境込みで次代に引き継いでいくという考えなのでしょう。
そして、岩野さんの言葉を受けて坂東さんが発した次の言葉に、僕はとても心躍った。
「ペンギンの散歩ってありますよね。あれ、500mくらいの距離なんですが40分くらいかかるんですよ。ペンギンがいなくて500mを40分なんて無理ですよ。このとき僕たちはペンギンの時間を生きているんです。」
「こういう相手に寄り添う“浸り”が、優しい気持ちをつくるんです。ペンギンを見れた、見れないではないんです。」
みんな地球で生まれてきたんだろう? そして何かに寄り添い、生きた・・・・・・。
命はすべて寄生虫だ。いや寄生獣か。もう、泣いちゃうぞ。
■命の価値
今、日本には約90の動物園があるそうです。
最初に上野にできてから約130年が経過しています。
この間、国内で生まれて元気に育ったゾウはなんと2頭だとか。入国したのは約400頭。
岩野さんの指摘は厳しい。
「命の浪費です。言い方は悪いけど、殺すために連れてきたんです。」
ゾウの寿命は40~50年と長いこともあり、死のニュースに接することは稀です。しかもかつて、可愛そうと死は隠されてきた。そのせいか僕たちは動物園の動物も死ぬという実感があまりない。でも生き物だから死んでるんです。だからこその旭山の「喪中」の取り組みなんでしょうね。
岩野さんは続けます。
「みんなゾウ見たいでしょ?」
「・・・で、ゾウの何が見たいんですか。ハナですか? ミミ?」
「殺すために連れてくる、こんなことはもう止めるべきなんです。」

2人は口を揃えて言いました。強く強く言いました。
「僕たち動物園が、パンダが珍しいとか、レッサーパンダが立ったとか、チンパンジーとイヌが人間の真似事するのがかわいいとか、そう言って客寄せをしました。命に価値を、上下をつけたわけです。」
「それを見てかわいいと思う。でもこんな“かわいい”がウリでは何も始まらない。」
歴史的に、動物園が見世物やコレクションのためにできたというのは、確かにその通りなのでしょう。しかし今は昔じゃない。
人間の価値観を動物に押しつけること、つまり上から目線で動物を見ることとの愚かさを強く、強く批判しました。第一、押しつけるということは「嘘」で覆うということでしょう?
では、これからの動物園の姿とはどのようなものか。
岩野さんが見せてくれた映像に、そのヒントがありました。
■ゾウという営み
岩野さんは2009年に、親友で旭山の元園長・小菅正夫氏とともにアフリカを訪れました。このとき「たいへん驚いた」というゾウの映像を見せてくれました。
ここでぜひ映像を公開したいのですが、岩野さんの個人所有物で当然僕の手元にはありません。
岩野さんの言葉を頼りにご説明しますが、わかりにくかったらゴメーンネ。
「僕もアフリカに行くまで知らなかったけど、ゾウのいちばん最少の群れの頭数は3頭なんです。大きなお母さんと、中くらいと小さい子どもの3頭。」
映像を見ていると、この中くらいのが常に小さいのを導く。基本隊列は母・小・中。
母が急に方向転換をして、小が余所見をしながら明後日の方向に行こうとすれば、中は体で遮って正しいルートに戻す。足場の悪いところで、小がもたつき母との距離が離れれば、中は小のすぐうしろで待ち続ける。
「何があっても、きちんとフォローするんです。なぜだかわかりますか?」
「この兄(中のこと)が子どものときにそうされているからです。」
・・・!! ぎゃー、心臓バクバクいっとるわー!!
「これは動物園では見られない。でもここが大事なんです。」
うん、うん!
「だからみなさん、もし到津で今いるゾウが死んで、それでもゾウが欲しいなら、必ず“群れ“で欲しいと言ってください! いいですか、“群れ”でですよ。」
「動物園で見せられなかったのはこの生き様なんです・・・!!」
承知いたしましたーっ!!!!!
坂東さんの旭山のオランウータンの話を思い出したよ。似たもの同士め。
社会を組む動物はサイクルをもつってこと。受け継ぐものがあるんですね。
このサイクルを見せることが2人の動物園人の夢見る未来の動物園なんでしょう。
2人口を揃えて曰く「営み展示」、命の営みを伝える展示だそうです。
うん、イイ。
■ゾウやキリンのいない動物園があったっていいじゃないか
坂東さんが言う。
「動物園の人が動物のことを知らないんです。僕たちだってゾウのことを知らなかった。」
「知らないから、新しい獣舎をつくって『あの動物が2頭から3頭に増えました』なんて馬鹿なことを誇ったりする。」
「きちんと動物を知り、その素晴らしさを実感すれば、設備や数を誇ることはないんです。」
岩野さんが付け加える。
「ゾウやキリンのいない動物園があったっていい。その動物らしく飼える環境がないのに飼うなんておかしいでしょ?」
そういえばキリンのマサカズが死んだあと、到津にこんなポスターが掲示されていたっけ。

このときと1mmもずれていないわ。
「動物園すべてが同じ動物を飼うことはない。地方の財政的な問題もある。だからローカルでは、それぞれの園が飼える動物だけを飼うのがいい。」
「でもコアはいる。やっぱりゾウやキリンは見たい。そういうコアは、例えば九州にならひとつつくって、これは九州全部で資金を負担したり、国立としたらいいんです。」
動物園は人と自然との架け橋です。
そうであるなら、ローカルでは人と地元の自然とをつなぎ、国立は人と世界の自然とをつなぐ。うん、これは理に適っている。
■動物園のほんとう
最後、坂東さんが言った言葉が印象的でした。
「人の価値観はそうかんたんに変わらないですよ。だからこそ子どもたちへ、新しい、よりよい価値観を伝えたいじゃないですか。」
僕たちでは変えられなくても、次の世代なら・・・!
伝えたいのは地域特異性と人と違う生のあり方だそうです。
言い換えるなら、自分を育んでくれた「自然」と、多様な価値観とそれを許す性根、すなわち「人情」です。
結局古くさい価値観じゃないかって?
でもね、人や時代や地域が変われば変わる程度の価値が本当に価値あることだとお思いですか。本当に価値あることってさ、何があっても変わらないことだから価値なんじゃないかな。
子どもは動物園が好きだ。少なくとも好きな子どもが多い。
親が子どもを遊びに連れて行きたい場所としても需要は飛び抜けて高い。臭いとか動物がかわいそうという人も、自分の子どもには動物と触れあって欲しいと思うようです。
子どもが好きで、親も行かせたい。こんな場所って実はわりかし珍しい。
たぶんね、わかってんだよ。本当は言われなくてもみんな知ってんだ。そこに命のふしぎがあることを。
命のふしぎは僕たち自身の存在のふしぎです。だから動物園を探求することは、僕たち自身を探求することです。
自分のことをしっかり考える人とは自分を大事にすることです。自分を大事にする人は他人を大事にする。
だって他人を蹴落とすような心性を育むことが大事とする人を、自分を大事にするとは僕たちは言わない。
自分はもちろん、周囲のすべてを大事にする人、そういう人のことを僕たちは「豊かな人」と言います。
つまり、動物園は「豊かな人」であふれているんです。
そうか、だからか。
動物園で動物を見ているみんなの、なんとまあ素敵な顔・・・!
ああ、いかん。今すぐ動物園に行きたくなってきたわー。
終わってみたら今回がいちばん長い。
最終回スペシャル、15分拡大バージョンでしたー。おつかれサマンサ。
【レポートリンク→その1、その2、その3、その4】
トークショーレポートも、やっと今回で終わりそうです。
憶えてることだけ書こうと思ったら意外に長文になりましたね。記憶力の高さにわれながら惚れ惚れします。五月蠅いよ。
さて、旭山動物園の坂東さんと到津の森公園の岩野さんのトークショーは、時間が経つにつれて熱を帯びてきました。
旭山と到津、それぞれの動物園や地域の特徴について話すなかで、2人に共通する「夢の動物園」の輪郭が見えてきましたよ。
■地球上の誰かがふと思った
岩野さんが言いました。
「どの動物にもふるさとがある。そのふるさとと人間の社会とをつなぐのが動物園です。」
「動物園には世界の動物がいます。動物園は地球一周ができる場所なんです。」
そうか。少なくとも岩野さんにとっての動物園は、動物のコレクションの場ではない。
動物園の機能の一つである「種の保存」というものがあります。岩野さんの立場に立てば、これは動物単体を残すのではなく、環境込みで次代に引き継いでいくという考えなのでしょう。
そして、岩野さんの言葉を受けて坂東さんが発した次の言葉に、僕はとても心躍った。
「ペンギンの散歩ってありますよね。あれ、500mくらいの距離なんですが40分くらいかかるんですよ。ペンギンがいなくて500mを40分なんて無理ですよ。このとき僕たちはペンギンの時間を生きているんです。」
「こういう相手に寄り添う“浸り”が、優しい気持ちをつくるんです。ペンギンを見れた、見れないではないんです。」
みんな地球で生まれてきたんだろう? そして何かに寄り添い、生きた・・・・・・。
命はすべて寄生虫だ。いや寄生獣か。もう、泣いちゃうぞ。
■命の価値
今、日本には約90の動物園があるそうです。
最初に上野にできてから約130年が経過しています。
この間、国内で生まれて元気に育ったゾウはなんと2頭だとか。入国したのは約400頭。
岩野さんの指摘は厳しい。
「命の浪費です。言い方は悪いけど、殺すために連れてきたんです。」
ゾウの寿命は40~50年と長いこともあり、死のニュースに接することは稀です。しかもかつて、可愛そうと死は隠されてきた。そのせいか僕たちは動物園の動物も死ぬという実感があまりない。でも生き物だから死んでるんです。だからこその旭山の「喪中」の取り組みなんでしょうね。
岩野さんは続けます。
「みんなゾウ見たいでしょ?」
「・・・で、ゾウの何が見たいんですか。ハナですか? ミミ?」
「殺すために連れてくる、こんなことはもう止めるべきなんです。」

2人は口を揃えて言いました。強く強く言いました。
「僕たち動物園が、パンダが珍しいとか、レッサーパンダが立ったとか、チンパンジーとイヌが人間の真似事するのがかわいいとか、そう言って客寄せをしました。命に価値を、上下をつけたわけです。」
「それを見てかわいいと思う。でもこんな“かわいい”がウリでは何も始まらない。」
歴史的に、動物園が見世物やコレクションのためにできたというのは、確かにその通りなのでしょう。しかし今は昔じゃない。
人間の価値観を動物に押しつけること、つまり上から目線で動物を見ることとの愚かさを強く、強く批判しました。第一、押しつけるということは「嘘」で覆うということでしょう?
では、これからの動物園の姿とはどのようなものか。
岩野さんが見せてくれた映像に、そのヒントがありました。
■ゾウという営み
岩野さんは2009年に、親友で旭山の元園長・小菅正夫氏とともにアフリカを訪れました。このとき「たいへん驚いた」というゾウの映像を見せてくれました。
ここでぜひ映像を公開したいのですが、岩野さんの個人所有物で当然僕の手元にはありません。
岩野さんの言葉を頼りにご説明しますが、わかりにくかったらゴメーンネ。
「僕もアフリカに行くまで知らなかったけど、ゾウのいちばん最少の群れの頭数は3頭なんです。大きなお母さんと、中くらいと小さい子どもの3頭。」
映像を見ていると、この中くらいのが常に小さいのを導く。基本隊列は母・小・中。
母が急に方向転換をして、小が余所見をしながら明後日の方向に行こうとすれば、中は体で遮って正しいルートに戻す。足場の悪いところで、小がもたつき母との距離が離れれば、中は小のすぐうしろで待ち続ける。
「何があっても、きちんとフォローするんです。なぜだかわかりますか?」
「この兄(中のこと)が子どものときにそうされているからです。」
・・・!! ぎゃー、心臓バクバクいっとるわー!!
「これは動物園では見られない。でもここが大事なんです。」
うん、うん!
「だからみなさん、もし到津で今いるゾウが死んで、それでもゾウが欲しいなら、必ず“群れ“で欲しいと言ってください! いいですか、“群れ”でですよ。」
「動物園で見せられなかったのはこの生き様なんです・・・!!」
承知いたしましたーっ!!!!!
坂東さんの旭山のオランウータンの話を思い出したよ。似たもの同士め。
社会を組む動物はサイクルをもつってこと。受け継ぐものがあるんですね。
このサイクルを見せることが2人の動物園人の夢見る未来の動物園なんでしょう。
2人口を揃えて曰く「営み展示」、命の営みを伝える展示だそうです。
うん、イイ。
■ゾウやキリンのいない動物園があったっていいじゃないか
坂東さんが言う。
「動物園の人が動物のことを知らないんです。僕たちだってゾウのことを知らなかった。」
「知らないから、新しい獣舎をつくって『あの動物が2頭から3頭に増えました』なんて馬鹿なことを誇ったりする。」
「きちんと動物を知り、その素晴らしさを実感すれば、設備や数を誇ることはないんです。」
岩野さんが付け加える。
「ゾウやキリンのいない動物園があったっていい。その動物らしく飼える環境がないのに飼うなんておかしいでしょ?」
そういえばキリンのマサカズが死んだあと、到津にこんなポスターが掲示されていたっけ。

このときと1mmもずれていないわ。
「動物園すべてが同じ動物を飼うことはない。地方の財政的な問題もある。だからローカルでは、それぞれの園が飼える動物だけを飼うのがいい。」
「でもコアはいる。やっぱりゾウやキリンは見たい。そういうコアは、例えば九州にならひとつつくって、これは九州全部で資金を負担したり、国立としたらいいんです。」
動物園は人と自然との架け橋です。
そうであるなら、ローカルでは人と地元の自然とをつなぎ、国立は人と世界の自然とをつなぐ。うん、これは理に適っている。
■動物園のほんとう
最後、坂東さんが言った言葉が印象的でした。
「人の価値観はそうかんたんに変わらないですよ。だからこそ子どもたちへ、新しい、よりよい価値観を伝えたいじゃないですか。」
僕たちでは変えられなくても、次の世代なら・・・!
伝えたいのは地域特異性と人と違う生のあり方だそうです。
言い換えるなら、自分を育んでくれた「自然」と、多様な価値観とそれを許す性根、すなわち「人情」です。
結局古くさい価値観じゃないかって?
でもね、人や時代や地域が変われば変わる程度の価値が本当に価値あることだとお思いですか。本当に価値あることってさ、何があっても変わらないことだから価値なんじゃないかな。
子どもは動物園が好きだ。少なくとも好きな子どもが多い。
親が子どもを遊びに連れて行きたい場所としても需要は飛び抜けて高い。臭いとか動物がかわいそうという人も、自分の子どもには動物と触れあって欲しいと思うようです。
子どもが好きで、親も行かせたい。こんな場所って実はわりかし珍しい。
たぶんね、わかってんだよ。本当は言われなくてもみんな知ってんだ。そこに命のふしぎがあることを。
命のふしぎは僕たち自身の存在のふしぎです。だから動物園を探求することは、僕たち自身を探求することです。
自分のことをしっかり考える人とは自分を大事にすることです。自分を大事にする人は他人を大事にする。
だって他人を蹴落とすような心性を育むことが大事とする人を、自分を大事にするとは僕たちは言わない。
自分はもちろん、周囲のすべてを大事にする人、そういう人のことを僕たちは「豊かな人」と言います。
つまり、動物園は「豊かな人」であふれているんです。
そうか、だからか。
動物園で動物を見ているみんなの、なんとまあ素敵な顔・・・!
ああ、いかん。今すぐ動物園に行きたくなってきたわー。
終わってみたら今回がいちばん長い。
最終回スペシャル、15分拡大バージョンでしたー。おつかれサマンサ。
【レポートリンク→その1、その2、その3、その4】
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最終更新日 : 2020-08-26