2010-12-15 (Wed) 11:46 ✎
【レポートリンク→その1、その2、その3、その4】
去る11月9日(火)、北九州市小倉の老舗百貨店・井筒屋にて、旭山動物園・坂東元園長と、到津の森公園・岩野俊郎園長のトークショーが行われました。ま、僕としては行くわな当然。仕事? 休んだ。
結果、大満足でした。2010年のベストバウト(バウト?)かもしんない。
ステキなことは他人と分かちあうことでその魅力が増すと言う。なので書き出すよ。長いよけど。あと記憶ひとつを友にしてるんで、客観性に自信がないw

■擬人を展示する動物園
第一部(13時~)は坂東さんのひとり語りで、第二部(15時~)が岩野さんと2人での掛け合いトークでした。
第一部の坂東さんの話は、テレビや本で一度ならず見聞きした内容でした。そりゃそうだ。内容が本当に大事なことなら、言うたびにポンポン変わるわきゃない。そして、大事なことは何度聞いても大事なことだから、やはり聞くたびに心にどっしりくるのですよ。
冒頭、坂東さんがまず言ったのは「動物園は人間のエゴ」ということ。
自己否定キタコレ。でも確かにどう取り繕ってもエゴだ。動物という自然を不自然にも囲っているのだから。
動物園は「必要悪」と簡単に割り切れるものではない。いや、割り切ることこそエゴだよね。「悪」だからって今すぐやめられるわけもない、「必要」なんだから。動物園は矛盾のカタマリだ。
なぜ、どのように「必要」かは、講演を聴くうちにおいおい明らかになりましたが、真面目な人であればあるほどこの矛盾に苦しむよね。でも答えのわからないことを考えるから、自分を超えたわからないことを考えるから賢くなる。動物園が「よりマシ」になっていく。
男・坂東は続けて話しました。矛盾を抱える生真面目さゆえの言葉です。
「動物園がつまらないと言われるのは、命がつまらないと言われているのとおんなじなんですよ。」
うおっ! とんでもないことを・・・!
これは命が素晴らしいと言っているわけです。言い換えると、何も飾らないまるはだかの状態、動物が動物としての生をまっとうすることこそが素晴らしいということです。パンとジャムくん(仮名)とか全否定です(笑)
でも、同意しちゃうなあ僕。
洋服を着せたり、買い物させたり、動物に人間の真似事をさせる。それを見てかわいいとか賢いとか言う。人間と違う生き方をする動物に、人間の行動様式を当てはめて喜んで何が「動物」園だ。動物それ自体を見せるのが動物園じゃないのか。
動物とはすなわち自然です。だから動物園とは自然を垣間見る場所にほかならない。そして自然とは人間の意志でどうにもならないもの、人間の意志を超えたものですよね。じゃあ人間の尺度で動物を見るのは、動物園なじゃない・・・!?
■ペンギンを魚だと言い張る大人たち
僕たちは、なんでもつい自分の価値観で判断しちゃう。もっと言えば、自分たちが知っている見方でしかものを見ることができない。知らないは存在しないと等しいということです。
坂東さんが面白いエピソードを紹介してくれました。

旭山には、水槽の中をトンネルにして、ペンギンが泳ぐのを見ながら人が歩くことができる「ぺんぎん館」という展示があります。
ある日、トンネルを歩く男性客から、泳いでいるペンギンを目の前にしながら、「ペンギンがいないじゃないか!」と言われたそうです。
彼は目の前で泳ぐそれらをペンギンと思わなかった。大きな魚だと思っていたようです。
彼もペンギンが泳ぐことは情報としては知っていました。でも目の前のそれがペンギンだとは考えもしなかった。
彼のもつペンギン観、陸上でよちよち歩きをする図、とスピード感溢れる現実の水中のペンギンの姿があまりにかけ離れていたからです。
「こういうことはよくある」そうです。
先入観とは恐ろしい。目の前の事実を認められない強制力がある。だから世の中には自分の知らないことがあると知っておくことは大事ですよね。でもなかなかね、難しいよ(笑)
逆に、子どもは魚のようにビュンビュン泳ぐ姿を見ても、すぐにペンギンとわかるそうです。ペンギンとはこういうものという思い込みが少ないんでしょうね。
ニュートラルな子どもに、何を、どう伝えるか。動物園(に限りませんが)の姿勢が問われるところです。
■かわいさの向こう側
旭山は命をどう伝えるかを考え抜き、行動展示と呼ばれる展示に至りました。動物本来の行動、その能力の多彩さを通して命を伝えるという方法です。
命の正体を伝えるのではありません。なんだかわかんねーけど、生きてるって、すご(い)・・・。この絶句を伝えるのが行動展示です。
ペンギンのかわいさについて坂東さんが興味深いことを言っていました。 以下。
ペンギンはよちよち歩くイメージがあるとさっき言いました。このよちよちのたどたどしさが、人間の赤ちゃんと重なってかわいいですよね。でもなぜペンギンはよちよち歩くのか。
それは、ペンギンは陸上で生きる最低限の能力だけ残して、水中用に特化したからです。
えさは水中で獲る。陸上は天敵もいなければ際立った凹凸も少ない。陸上で速く動いたりダイナミックに上り下りする必要がないわけです。だから陸上の能力は捨てた。
つまりペンギンのよちよちは、カスタマイズの成果なのです。
こういう全体を知った中で、よちよちにかわいさを感じ取るのと、単に歩く姿しか知らずかわいいと思うのは違うのだ。
ああ、確かに!
他人の子より自分の子が、自分にとって明らかにかわいいと言う親バカ心理と同じ理由ですよね。親がわが子のことをかわいいと言うとき、それは単に見た目だけを問うているわけじゃないもん。日々積み重ねた理論と実践、成功と失敗、その子について四六時中考え抜いたうえで胸に確かに存在するこの感情は、まあ大概のことには動じない広がりと深みをもつ。
旭山が伝えたいのはたぶんこれ。正しい知識を足がかりに理性でアプローチした結果、その理性を超えて飛来する揺るぎない感情、感嘆、絶句。マ愛だろ、愛。
ああ、本当にいい加減に終わりにしましょう。でもまだ続く。以下次回。
大丈夫かな、全2回の予定だったけど終わるかな。(無責任)
【レポートリンク→その1、その2、その3、その4】
去る11月9日(火)、北九州市小倉の老舗百貨店・井筒屋にて、旭山動物園・坂東元園長と、到津の森公園・岩野俊郎園長のトークショーが行われました。ま、僕としては行くわな当然。仕事? 休んだ。
結果、大満足でした。2010年のベストバウト(バウト?)かもしんない。
ステキなことは他人と分かちあうことでその魅力が増すと言う。なので書き出すよ。長いよけど。あと記憶ひとつを友にしてるんで、客観性に自信がないw

■擬人を展示する動物園
第一部(13時~)は坂東さんのひとり語りで、第二部(15時~)が岩野さんと2人での掛け合いトークでした。
第一部の坂東さんの話は、テレビや本で一度ならず見聞きした内容でした。そりゃそうだ。内容が本当に大事なことなら、言うたびにポンポン変わるわきゃない。そして、大事なことは何度聞いても大事なことだから、やはり聞くたびに心にどっしりくるのですよ。
冒頭、坂東さんがまず言ったのは「動物園は人間のエゴ」ということ。
自己否定キタコレ。でも確かにどう取り繕ってもエゴだ。動物という自然を不自然にも囲っているのだから。
動物園は「必要悪」と簡単に割り切れるものではない。いや、割り切ることこそエゴだよね。「悪」だからって今すぐやめられるわけもない、「必要」なんだから。動物園は矛盾のカタマリだ。
なぜ、どのように「必要」かは、講演を聴くうちにおいおい明らかになりましたが、真面目な人であればあるほどこの矛盾に苦しむよね。でも答えのわからないことを考えるから、自分を超えたわからないことを考えるから賢くなる。動物園が「よりマシ」になっていく。
男・坂東は続けて話しました。矛盾を抱える生真面目さゆえの言葉です。
「動物園がつまらないと言われるのは、命がつまらないと言われているのとおんなじなんですよ。」
うおっ! とんでもないことを・・・!
これは命が素晴らしいと言っているわけです。言い換えると、何も飾らないまるはだかの状態、動物が動物としての生をまっとうすることこそが素晴らしいということです。パンとジャムくん(仮名)とか全否定です(笑)
でも、同意しちゃうなあ僕。
洋服を着せたり、買い物させたり、動物に人間の真似事をさせる。それを見てかわいいとか賢いとか言う。人間と違う生き方をする動物に、人間の行動様式を当てはめて喜んで何が「動物」園だ。動物それ自体を見せるのが動物園じゃないのか。
動物とはすなわち自然です。だから動物園とは自然を垣間見る場所にほかならない。そして自然とは人間の意志でどうにもならないもの、人間の意志を超えたものですよね。じゃあ人間の尺度で動物を見るのは、動物園なじゃない・・・!?
■ペンギンを魚だと言い張る大人たち
僕たちは、なんでもつい自分の価値観で判断しちゃう。もっと言えば、自分たちが知っている見方でしかものを見ることができない。知らないは存在しないと等しいということです。
坂東さんが面白いエピソードを紹介してくれました。

旭山には、水槽の中をトンネルにして、ペンギンが泳ぐのを見ながら人が歩くことができる「ぺんぎん館」という展示があります。
ある日、トンネルを歩く男性客から、泳いでいるペンギンを目の前にしながら、「ペンギンがいないじゃないか!」と言われたそうです。
彼は目の前で泳ぐそれらをペンギンと思わなかった。大きな魚だと思っていたようです。
彼もペンギンが泳ぐことは情報としては知っていました。でも目の前のそれがペンギンだとは考えもしなかった。
彼のもつペンギン観、陸上でよちよち歩きをする図、とスピード感溢れる現実の水中のペンギンの姿があまりにかけ離れていたからです。
「こういうことはよくある」そうです。
先入観とは恐ろしい。目の前の事実を認められない強制力がある。だから世の中には自分の知らないことがあると知っておくことは大事ですよね。でもなかなかね、難しいよ(笑)
逆に、子どもは魚のようにビュンビュン泳ぐ姿を見ても、すぐにペンギンとわかるそうです。ペンギンとはこういうものという思い込みが少ないんでしょうね。
ニュートラルな子どもに、何を、どう伝えるか。動物園(に限りませんが)の姿勢が問われるところです。
■かわいさの向こう側
旭山は命をどう伝えるかを考え抜き、行動展示と呼ばれる展示に至りました。動物本来の行動、その能力の多彩さを通して命を伝えるという方法です。
命の正体を伝えるのではありません。なんだかわかんねーけど、生きてるって、すご(い)・・・。この絶句を伝えるのが行動展示です。
ペンギンのかわいさについて坂東さんが興味深いことを言っていました。 以下。
ペンギンはよちよち歩くイメージがあるとさっき言いました。このよちよちのたどたどしさが、人間の赤ちゃんと重なってかわいいですよね。でもなぜペンギンはよちよち歩くのか。
それは、ペンギンは陸上で生きる最低限の能力だけ残して、水中用に特化したからです。
えさは水中で獲る。陸上は天敵もいなければ際立った凹凸も少ない。陸上で速く動いたりダイナミックに上り下りする必要がないわけです。だから陸上の能力は捨てた。
つまりペンギンのよちよちは、カスタマイズの成果なのです。
こういう全体を知った中で、よちよちにかわいさを感じ取るのと、単に歩く姿しか知らずかわいいと思うのは違うのだ。
ああ、確かに!
他人の子より自分の子が、自分にとって明らかにかわいいと言う親バカ心理と同じ理由ですよね。親がわが子のことをかわいいと言うとき、それは単に見た目だけを問うているわけじゃないもん。日々積み重ねた理論と実践、成功と失敗、その子について四六時中考え抜いたうえで胸に確かに存在するこの感情は、まあ大概のことには動じない広がりと深みをもつ。
旭山が伝えたいのはたぶんこれ。正しい知識を足がかりに理性でアプローチした結果、その理性を超えて飛来する揺るぎない感情、感嘆、絶句。マ愛だろ、愛。
ああ、本当にいい加減に終わりにしましょう。でもまだ続く。以下次回。
大丈夫かな、全2回の予定だったけど終わるかな。(無責任)
【レポートリンク→その1、その2、その3、その4】
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最終更新日 : -0001-11-30