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非常時を笑顔で乗り切るための平時の備え

2020-03-12 (Thu) 00:20

【目次:第1回 ― 第2回 ― 第3回
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新型コロナウイルスが大変だ。
そんななか、我が身を省みたり、半径5mくらいの近しい方々と話したり、ネットを散見したりして思うことがありましてね。
つまり「日々面倒だと切り捨てがちなことを切り捨てなかったみなさんは、総じて楽しそう」ということ。

年賀状とかお中元、お歳暮を欠かさなかったり、旅行に行ったらお土産買ってきたり、近所付き合いや町内会づきあいをしていたり、盆正月くらいは親戚と集まっていたりしてた人たちは、今もわりと楽しく暮らしているご様子。
聞くと、そういう人たちは、お互いにちょこちょこ連絡を取って愚痴を飛ばし合ったり、足りない物資を交換したりしている。
困ってないときに連絡している相手には、本当に困ったときにも連絡しやすいし、お願いをされる側になっても快く応えることができるとか。なるほど、なんかわかる。
彼らは、物質的にも精神的にも孤立してない感じがすごい。

大人だけではない。子どもも同じ感じだ。
もともと読書していたり、ゲームではなく家にある廃材で遊んでいたり、料理していたり、ひとりで外遊びしていたりしてた子どもらは、楽しそうに過ごしている場合が多いみたい。むしろ、いつもより凝る時間が確保できてより楽しんでいたり。
そして子どもにそんな習慣がついているのは、親がこれまた日々嫌な顔をせず付き合った可能性が高い。

楽しめていない人が悪い、駄目、辛抱がないという話ではない。
家庭の事情や仕事や居住環境、子供の個性など前提条件がみんな違うし、楽しんでいるように見える方だってみんな見かけより大変だと思う。
それはそれとして、楽しそうに見える彼らから僕が改めて学んだのは、「非常時に支えとなるのは平時の備え」次第ということです。わお、当たり前w

でも別に積極的に備えていたわけじゃないようで、そこが面白い。

「なんか野菜が余ったからどうぞ」
「よく知らないけど、同じマンションなんだしすれ違うとき『こんにち』はくらい言うでしょ」
「お土産渡すのが好きなのよ、趣味みたいなものね」
「こないだ巡回してもらったから、代わりに私がこの会議担当するわ。お互い様ってやつ」
「この親戚は年賀状くらいしか連絡しないね。意味ないかな。でも切るのもねぇ」

ちょっと面倒で、無駄っちゃ無駄の習慣、関係だけど、「でもちょっと面倒な<だけ>だし、なんとなく止めるに忍びないから、マ続けてみた」という消極的賛同。
面倒と言われるけど「そう? 意外と楽しいよ」という能天気さ。
こういうしがらみ、因習みたいなものを淡々と(あるいは嬉々として)受け入れてたら、期せずして非常時のセーフティーネットになっちゃったようです。「期せずして」というのが大切なんだよね。下心あるとダメ。見透かされちゃう。

今回、新型コロナウイルスの件で、この能天気な「平時のおつきあい」が「期せずして」当事者のみならず多くの人々の心を動かし、支えとなった好例が生まれました。
3/8にTwitterを会場に開催された #SNSで人吉よさこい祭り です。


以下次号(笑) 前説が長くなりすぎた。

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最終更新日 : 2020-03-16

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