2019-03-11 (Mon) 23:03 ✎
昨日言ったとおり、本当に東日本大震災関連のことが続きそうです。
僕は次男(2歳)の写真をInstagramにあげようとして、ふと思いだしました。
「そういえば、8年前の今日も子ども(長男)の顔写真をアップしたわ…」
そのことについて話す。まずは2019年3月11日にアップしたのが下の写真。
次男の写真に添えて、私は上記のようなコメントを書きました。「震災に対する兄弟の感覚には(大人になっても)おそらく千里の逕庭がある」と。
とは言え、別に長男(9歳)だって、2歳当時のことなんてほぼ憶えていないでしょう。
ただ、折に触れて親子で震災の話をしたり、3年後(2014年9月)に宮城県に行ったり、2016年4月に熊本地震があったりで、それなりに震災について思うところはあるようです。
とくに熊本はわが家には馴染みの町でした。
よさこい踊りをしている長男は、数週間前に熊本城の前で踊ったばかりであった。そこが…無くなった。かなりの衝撃だったようです。それが311の印象をリアルなものにした。
長男(9歳)のような「311のときには生まれていたけど体験のない者」と、次男(2歳)のように「311には生まれていなかったけど後には同時代の人とみなされる者」の役割は大きい。と僕は思っています。
この2者と「被災者」(これも被災の具合がぜんぜん違うが)が協力してこそ、「風化」に歯止めがかかるんだと思います。
震災の風化と戦争の風化は同じ問題を孕んでいると思います。
震災の風化を少しでも押し止めることは、戦争のできる国に進むことを止めることだと思う。
当時はInstagramでは「フレームあり」「フィルターあり」が今より当たり前でした。
でもこのときは「フレームなし」「フィルターなし」を選びました。
素の気持ちを出したかった。だから「なし」を選びました。
投稿時間は、23:58:25でした。
震災のことを言おうか言うまいか迷った挙げ句、でも今日中に震災についてなにか言わなきゃ!と思った記憶があります。
「がんばろう」という言葉は苦手です。でもそれしか言えなかった。
幕之内一歩のように「頑張れ、頑張れ」としか。
加藤鳴海は言った。「笑うべきだとわかった時は…泣くべきじゃないぜ」
蒼月潮の声が聞こえた。「わらいながら、まけてやらねぇ。 そういこうや」
マンガばっかりだな。しかも藤田和日郎率高すぎ。
なんか今と考えが変わってねぇ…ていうかぜんぜん成長してないですね。
でもね、8年経っても子どもこそが大人を支える…という思いは変わらない。
同時に、子どもを支えるのは大人なんだってことも。
同時に、子どもを支えるのは大人なんだってことも。
はい、ここまでが余談。
今年の3月11日に次男のアップ写真を選んだのは、これと似てるからでしたー。つぶら。
なにこの日記。
- 関連記事
-
- SNSを使いこなせない理由
- 震災を見てもないと臆する方へ
- 「頑張って」を否定しない
- 頑張れとしか言えなかった311
- 大震災復興支援企画に…絶句
- 夜道行く 縁の下のメガネ女子
- 僕が馬鹿だったら救われる話
スポンサーサイト
[Tag] * 震災
最終更新日 : 2020-04-18