2015-12-18 (Fri) 12:12 ✎
【マリンピア松島水族館】 訪問日 2014/9/16
Yahoo!が2013年から主催している「ツール・ド・東北」という自転車レースがある。
東日本大震災の被災地・被災者支援として、Yahoo!はさまざまな取り組みを行っている。
ニュースやネットの評価を見ても、現地の人の声を聞いても、物質面でも精神面でも効果を上げているように感じる。
その「ツール・ド・東北」に妻が2013年、2014年と参加した。(2015年は実姉の結婚式と重なり不参加。ほっ。金がもたん。)
2年目である2014年は僕と息子も遅れて東北入りした。妻がバカみたいに楽しそうで嫉妬したのだ。
僕らはボランティアではない。単純に旅行者だ。
旅行だけど、各地で震災の傷跡を目の当たりにし、まちの人々と直接話した。
「一度行ったほうがいい。行かないとわからないよ」と皆が言う気持ちもたぶんわかった。
(逆に「行かないからわかる。行ったからわからない」こともある。行ったからエライわけではない)
石ノ森萬画館にも行った。宮城は石ノ森の故郷だ。つまりヒーローの聖地だ(笑)
笑いごとじゃない。
ヒーローの聖地であったことが、記念館をつくる程度には聖地であると土地の人々が認識していたことが、この土地に育った人々に折れない心を涵養したはずだ。
いつ水族館の話になるのか(笑)
ともかく、そういう状況のもと訪れたのが「マリンピア松島水族館」である。
震災絡みだから、饒舌になるヨカン。心してどうぞ。

マリンピア松島水族館は1927年(昭和2年)開館した。
日本では富山県の魚津水族館に次いで2番目に長い歴史を持つ水族館「だった」。
じつは、僕らが訪問後の2015年5月10日に閉館した。
閉館することを知ったのは、水族館の入り口でだ。
「おおー、奇跡。閉館する前に来れてよかったね、ラッキー」
軽口をたたきながら入館した。
マリンピア松島の知識はゼロだった。
そもそも日本三景・松島を見るのが目的で、水族館のことは存在すらよく知らなかった。
素晴らしかった。
この事実だけでも記録しておくべきだと思った。
閉館したにもかかわらず、情報をアップするのはそういうわけだ。
マ以下のレポートは単純な旅行記だけど。


閉園したので、記録としてマップを掲載しておく。
入館したらいきなり広場が。
団体利用がしやすそう。と思うのは僕が子育て支援の仕事しているからだろう。
てか海獣(模型)飛んでた(笑) そしてメリーゴーランド。昔のデパートの屋上感すごい。
てか焼き牡蠣売ってたよ。暖をとるためにストーブもあった。
なんだここ、地域密着度ハンパない。
土地柄的には観光施設なのかもしれない。
しかし、僕ら北九州市民にとっての「到津の森公園」のような雰囲気を感じる。
誰もが子どものころに遊んだ思い出の地。
とはいえ、施設の老朽化があきらかだし、そもそも古臭い。
地域以外住民としては、あまり期待せず展示に臨んだ。


とんでもねえ。反省した。
ピラルクにアオウミガメ。でっかい生き物に度肝抜かれた(笑)
マンボウにワニ、アシカにアザラシ、ビーバーやイロワケイルカ(パンダイルカ)もいた。
ペンギンにいたってはキング、フンボルト、マゼラン、ケープ、ジェンツー、イワトビ、マカロニと7種もいる始末。
すげえな。


展示も事細かい。
深海における魚の見え方を体感できたり、クラゲを下から見たりできた。
巣穴で暮らすサカナ(マハゼだったかな。忘れた)の様子を見るところでは息子(当時5歳)が大興奮。
そういえば動物の個体識別の表記なども充実していた(気がする)。


無料でできるドクターフィッシュと希少生物テツギョ。
テツギョって名前も見た目もかっこいい。フナの突然変異の可能性が高いとか。
カレイ(ヌマガレイ)が、薄い層を縦横無尽に泳いでいたので撮った。
興奮した(笑)

アシカショー。
こじんまりとしてたが、多彩な能力を見せつけてくれた。

なんてことはないケープペンギン。
いや、この左の個体は特別なペンギンだ。
大地震から数日後に生まれた命。
館としては十数年ぶりのケープペンギンの赤ちゃんだったという。
名前は「ハル」。春である。

僕が名作として愛する写真絵本(図鑑)「ほんとのおおきさ」シリーズの特別編「元気です!東北の動物たち」のトリを飾るのが、彼女「ハル」さんだった。


順路の最後に東日本大震災についての掲示があった。
マリンピア松島は、この地震で甚大な被害を被った。(上段の左の写真をクリックしてください)
たくさんの生き物も死んだ。設備も多くが使い物にならなくなった。
にもかかわらず、発災後1ヶ月半で営業を再開したのである。(詳しくは→コチラ)
素晴らしいスタッフのみなさんだと思う。
再開時、多くの市民が訪れたという。
だろうね。
生き物が希望なんじゃあない。「マリンピア松島水族館が希望」だったんだ。
松島の方々にとって、ここは「縁(よすが)」だったに違いない。
動物園や水族館の生きる道は、ここにこそあると思う。
種の保全や教育などの役割は、地域の人々にとってそこが「縁」であることで、はじめて自分事として認識されるものだ。


閉館間際の館では、88年の歴史を語る「おもいで博覧会」を行っていた。
2015年5月10日の閉館後、生き物やスタッフの多くは、新設された「仙台うみの杜水族館」(2015年7月1日開業)に移ったという。
でもじつはマリンピア松島とうみの杜は経営母体が違う。
このあたり、マリンピア松島のスタッフが複雑な感情を吐露していた。
一見のお客(僕)に言うくらいだから、よっぽどのことがあったのだろう。
けれど僕は期待してんだ。
震災後、復活したとき「松島水族館は永遠に不滅です」と高らかに謳っていたという。
公式サイトは閉館後もしばらく更新を続けるという責任を果たした。
公式ファンクラブは今も活動を続けている。
マリンピア松島の堅実で熱き魂は、これからもっとひろがるはずだ。
閉館前に行けてよかった。心からそう思う。僥倖である。
マリンピア松島水族館(閉館) 公式サイト
→ http://www.marinepia.co.jp/
マリンピアクラブ(マリンピア松島水族館 公式ファンクラブ)
フェイスブックページで活動中!!
→ https://goo.gl/s3LXx1
仙台うみの杜水族館 公式サイト
→ http://www.uminomori.jp/umino/
Yahoo!が2013年から主催している「ツール・ド・東北」という自転車レースがある。
東日本大震災の被災地・被災者支援として、Yahoo!はさまざまな取り組みを行っている。
ニュースやネットの評価を見ても、現地の人の声を聞いても、物質面でも精神面でも効果を上げているように感じる。
その「ツール・ド・東北」に妻が2013年、2014年と参加した。(2015年は実姉の結婚式と重なり不参加。ほっ。金がもたん。)
2年目である2014年は僕と息子も遅れて東北入りした。妻がバカみたいに楽しそうで嫉妬したのだ。
僕らはボランティアではない。単純に旅行者だ。
旅行だけど、各地で震災の傷跡を目の当たりにし、まちの人々と直接話した。
「一度行ったほうがいい。行かないとわからないよ」と皆が言う気持ちもたぶんわかった。
(逆に「行かないからわかる。行ったからわからない」こともある。行ったからエライわけではない)
石ノ森萬画館にも行った。宮城は石ノ森の故郷だ。つまりヒーローの聖地だ(笑)
笑いごとじゃない。
ヒーローの聖地であったことが、記念館をつくる程度には聖地であると土地の人々が認識していたことが、この土地に育った人々に折れない心を涵養したはずだ。
いつ水族館の話になるのか(笑)
ともかく、そういう状況のもと訪れたのが「マリンピア松島水族館」である。
震災絡みだから、饒舌になるヨカン。心してどうぞ。

マリンピア松島水族館は1927年(昭和2年)開館した。
日本では富山県の魚津水族館に次いで2番目に長い歴史を持つ水族館「だった」。
じつは、僕らが訪問後の2015年5月10日に閉館した。
閉館することを知ったのは、水族館の入り口でだ。
「おおー、奇跡。閉館する前に来れてよかったね、ラッキー」
軽口をたたきながら入館した。
マリンピア松島の知識はゼロだった。
そもそも日本三景・松島を見るのが目的で、水族館のことは存在すらよく知らなかった。
素晴らしかった。
この事実だけでも記録しておくべきだと思った。
閉館したにもかかわらず、情報をアップするのはそういうわけだ。
マ以下のレポートは単純な旅行記だけど。



閉園したので、記録としてマップを掲載しておく。
入館したらいきなり広場が。
団体利用がしやすそう。と思うのは僕が子育て支援の仕事しているからだろう。
てか海獣(模型)飛んでた(笑) そしてメリーゴーランド。昔のデパートの屋上感すごい。
てか焼き牡蠣売ってたよ。暖をとるためにストーブもあった。
なんだここ、地域密着度ハンパない。
土地柄的には観光施設なのかもしれない。
しかし、僕ら北九州市民にとっての「到津の森公園」のような雰囲気を感じる。
誰もが子どものころに遊んだ思い出の地。
とはいえ、施設の老朽化があきらかだし、そもそも古臭い。
地域以外住民としては、あまり期待せず展示に臨んだ。



とんでもねえ。反省した。
ピラルクにアオウミガメ。でっかい生き物に度肝抜かれた(笑)
マンボウにワニ、アシカにアザラシ、ビーバーやイロワケイルカ(パンダイルカ)もいた。
ペンギンにいたってはキング、フンボルト、マゼラン、ケープ、ジェンツー、イワトビ、マカロニと7種もいる始末。
すげえな。



展示も事細かい。
深海における魚の見え方を体感できたり、クラゲを下から見たりできた。
巣穴で暮らすサカナ(マハゼだったかな。忘れた)の様子を見るところでは息子(当時5歳)が大興奮。
そういえば動物の個体識別の表記なども充実していた(気がする)。



無料でできるドクターフィッシュと希少生物テツギョ。
テツギョって名前も見た目もかっこいい。フナの突然変異の可能性が高いとか。
カレイ(ヌマガレイ)が、薄い層を縦横無尽に泳いでいたので撮った。
興奮した(笑)


アシカショー。
こじんまりとしてたが、多彩な能力を見せつけてくれた。

なんてことはないケープペンギン。
いや、この左の個体は特別なペンギンだ。
大地震から数日後に生まれた命。
館としては十数年ぶりのケープペンギンの赤ちゃんだったという。
名前は「ハル」。春である。

僕が名作として愛する写真絵本(図鑑)「ほんとのおおきさ」シリーズの特別編「元気です!東北の動物たち」のトリを飾るのが、彼女「ハル」さんだった。



順路の最後に東日本大震災についての掲示があった。
マリンピア松島は、この地震で甚大な被害を被った。(上段の左の写真をクリックしてください)
たくさんの生き物も死んだ。設備も多くが使い物にならなくなった。
にもかかわらず、発災後1ヶ月半で営業を再開したのである。(詳しくは→コチラ)
素晴らしいスタッフのみなさんだと思う。
再開時、多くの市民が訪れたという。
だろうね。
生き物が希望なんじゃあない。「マリンピア松島水族館が希望」だったんだ。
松島の方々にとって、ここは「縁(よすが)」だったに違いない。
動物園や水族館の生きる道は、ここにこそあると思う。
種の保全や教育などの役割は、地域の人々にとってそこが「縁」であることで、はじめて自分事として認識されるものだ。



閉館間際の館では、88年の歴史を語る「おもいで博覧会」を行っていた。
2015年5月10日の閉館後、生き物やスタッフの多くは、新設された「仙台うみの杜水族館」(2015年7月1日開業)に移ったという。
でもじつはマリンピア松島とうみの杜は経営母体が違う。
このあたり、マリンピア松島のスタッフが複雑な感情を吐露していた。
一見のお客(僕)に言うくらいだから、よっぽどのことがあったのだろう。
けれど僕は期待してんだ。
震災後、復活したとき「松島水族館は永遠に不滅です」と高らかに謳っていたという。
公式サイトは閉館後もしばらく更新を続けるという責任を果たした。
公式ファンクラブは今も活動を続けている。
マリンピア松島の堅実で熱き魂は、これからもっとひろがるはずだ。
閉館前に行けてよかった。心からそう思う。僥倖である。
マリンピア松島水族館(閉館) 公式サイト
→ http://www.marinepia.co.jp/
マリンピアクラブ(マリンピア松島水族館 公式ファンクラブ)
フェイスブックページで活動中!!
→ https://goo.gl/s3LXx1
仙台うみの杜水族館 公式サイト
→ http://www.uminomori.jp/umino/
- 関連記事
-
- 骨とホッキョクグマに狂喜乱舞! ここが<東北の顔>動物園だ
- 閉館しても不滅 奇跡の水族館
スポンサーサイト
最終更新日 : 2019-03-13